午後3時37分、TEE「青いリンドウ号」に乗り、ドイツを後にした。 オーストリア最初の町ザルツブルグに到着したのは5時頃であった。駅前からトロリーバスでユースに向かった。ユースはホーエンザルツブルグ城のそびえる小高い丘の麓にあった。 |
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上は、時刻表の一ページ。これはオーストリアのウィーン発、ドイツのハンブルグ行きのもの。はっきり見たい方はクリックをどうぞ。 | ||
ザルツのユースには最初2泊して、その後、山の中のすごい田舎に行き、また、その翌日オリエントエキスプレスでザルツにもどり、また1泊。 田舎のユースではでは全く言葉が通じなくて苦労した。幸いドイツの女子中学生の団体を引率した若者に助けてもらった。ここのユースは教会を利用したもので、トイレに行くのにその女生徒達の部屋を通り抜けなければならず、目のやり場に困ることがあった。 ドイツでの寒さには懲りたので、ザルツで寝袋を買った。今度はフランス製。333シリング1AS(オーストリアシリング)=100グロッシェ、約15円 オーストリアでは天候は良く、さすがに観光文化の国。山の中の田舎では、駅にリュックをおいたまま、町を歩いても荷物の心配がなかったが、今ではどうだろう。 それでもザルツブルグ城では、明らかに観光客目当てのスリらしい目つきの悪い男達がいた。私は、出来る限り毎日家にはがきを出していた。ザルツの郵便局で、同じユースに泊まっていた日本人の女性を見かけた。日本人とは観光地でほとんど見かけるが、彼女とはスペインで偶然再会する事になるとは、このときには考えてもいなかった。 この時期は主な観光地のユースはガキの団体でにぎわっていた。NATO関係の子供達を引率する人の中に、たいてい占領時代の米軍関係者がいて、日本人だと判ると奇策に話しかけ、多少進駐軍の記憶が残っている私と、日本の話をして懐かしがっていた。 |
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