インスブルグ駅で列車を待っていると、日本人と出会い、ベルンのユースまで同行する事となった。彼は静岡県焼津市から来た若者で、ザルツのユースで見かけた人だった。 日本を出るまでは、スイスは単に通過するだけの国でしかなかった。物価は高いと聞いていたし、余りに観光国というイメージが強く、それほど立ち寄りたい国ではなかったが、途中ユースで出会った日本人は、口々にグリンデルワルトのユースのすばらしさを賞賛していた。 チロルで自然の美しさに驚嘆した私は、予定外であったが、そのグリンデルワルトのユースに行ってみようという気持ちに、いつしかなっていた。列車の中から見る景色も、ますますその気持ちに拍車をかけてきた。その日に着くのは無理なので、とりあえずその日はベルンのユースに泊まることにした。 |
ベルンのユースは国会のそばの大きな建物であったが、都会のユースの噂通り、ヒッピーのような、輝きのない目をした日本人がゴロゴロたむろしていた。私たちが行ったときも無表情でトランプをしていた。焼津の若者に言わせれば、彼らは帰りたくても金が無い、ということで、日本人の旅行者には反感を持っている、ということだった。 翌朝、焼津の若者と別れ、列車の時間までベルンを歩いた。駅のそばの山岳博物館、歴史博物館、郵便博物館などを見て回った。郵便博物館では、世界中で発行された切手のほとんどが、引き出し式のパネルに収められ、自由に見ることが出来た。 車窓から野生の鹿を見たのも始めての経験だった。インターラーケンオストまで国鉄で行き、そこから、登山列車に乗り換え、グリンデルワルトに向かった。 |
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