モロッコ編 1 (6月11日〜7月2日)

タンジェからカザに

タンジールの港

アルヘシーラスの港を出て、約30分ほどするとやがて前方左に、薄茶色のアフリカ大陸の影がぼんやり浮かんできた。生まれて初めて目にするアフリカの影であった。山のような高いシルエットの下にうち寄せる波だけが白く動いていた。私を威圧する様なアフリカの影であった。

北にヨーロッパの影を、南にアフリカの影を見ながら、しばらく進路を西に向けていた船は、やがて南に向かうと、白いタンジールの町が見えてきた。(通常、日本ではタンジールと読んでいるが、現地での呼び方にならって以降タンジェと言う。カサブランカは、一般的にカザと言うので、それらも含めて、現地での呼び名で書くことにする)

タンジェの波止場では青い作業服を着た男たちが小舟を修理する姿が目に付いた。のんびりとした印象を受けた。船が波止場に接岸し、ぞろぞろ船客が下り始めたが、私は思わぬハプニングに遭遇した。

あらかじめ船の中で入国許可書に記入していたが、私は下船口でパスポートを取り上げられたまま、止められてしまった。上陸を許されなかったのは、私のほかに甲板でパスポートを風にとばされたアメリカ人の若者と、フランス人の娘(彼女に理由を尋ねたがまったく言葉がわからなっかった)で、やがて、折り返しスペインに帰る船に乗客が乗り込んできた。

このときばかりはかなり焦ってしまった。このままパスポートも無しでスペインの返されたら大変である。(後日それらしい理由が判明した。この直前アラブ首脳国会議がモロッコで開催されたおり、町をうろついていた日本人は、全員身柄を拘束されたことがあったらしい。海外青年協力隊の正式なメンバーですら、一次拘束された話を耳にしたことから、私の入国に対して何らかの調査をしていたのではないかと思われる)この後、モロッコでは何度か恐ろしい体験をすることになるが、それはまたの機会にする。

 何とか、上陸を許可され波止場から簡単な荷物の検査を済ませ、国王ハッサンの写真がやたら目立つ税関の両替所で小切手をモロッコ通貨ディラハムに交換して(1DH=100F、約70円)抜け、市内に入ったが、タンジェは噂通り騒然とした町だった。(スペインからモロッコに渡るにはもう一つルートがあり、スペイン領セウタに船で渡る方法もあったが、セウタに近いテトワンという町も、タンジェと同じように訳の判らない町だそうだ)

アラブ服の男たちが行き交う路地の一角で絵はがきを買い、カフェで簡単な昼食をとって、早速日本に葉書を書いた。

駅に行ったが、カザまでの列車は午後3時半で切符の発売は2時半かららしい。今までヨーロッパでは、時間つぶしに駅に荷物を預け、町を見物することが通常の行動だったが、ここでは荷物は自分が管理しなければいけないような雰囲気があった。これまでにヨーロッパで出会った日本人でモロッコに行ったという人たちが、口々にいっていた言葉「モロッコでは、自分を見ずに荷物を見る」がよくわかった。決してこの町の人が泥棒だと言うつもりはないが、人々の視線は聞いていたごとく、私を見るより、背中のリュックを先に見る様に感じられた。

切符の発売までの時間をつぶすため、海岸に向かった。5-6歳の子供たちが話しかけてきた。「チノワか?」「いいやジャポネだ」彼らは日本も中国も区別がつかない。ブルース・リーの影響が大きいようで、東洋人を見ると全員空手をやっていると思っているようだった。

海岸の公園のようなところに来るまでにも、しつこいほどいろいろな物売りが話しかけてきた。「ハッシッシ(大麻)はいらないか?」「ガイドはいらないか?」

もう、うんざりするだけであった。公園のベンチで子供たちと世間話をして時間を過ごし、駅にもどった。

話は前後するが、その前に郵便局を探していて、ちょっとした出来事にも遭遇した。葉書を出そうと郵便局を探していたら、ハイティーンとちびガキの2人組が例によって「ハッシッシはいらないか」と売りつけに来た、断った時、ついうっかり「もう持っているからいらないよ」と言ってしまった。私には一番断るのに都合の良いと思った言葉が、彼らに金儲けの口実を作ってしまった。売りつけようとした態度が急変し「警察に言ってやる」と言い始めた。黙っていてほしければ金を出せと言う。

この国でも禁制品と言うことは聞いていたので、もし持ち物を調べられ、現地語で私のカメラ、他の所持品を彼らから盗んだものだと言われても、私には抗弁のしようが無い。結局ゆすられてしまい、3DH巻き上げられた。金は大きい方が独り占めした。しゃくにさわるから2人を仲間割れさそうと、目の前で二人で金を分けろと言ったが、ちびガキはびびって、「いいよ、いいよ」という。仲間割れをさせることには失敗したが、ちびガキはなぜかその後私になつき、郵便局まで案内してくれた。

タンジェからカザまでの切符の一つ

ここは全く日本と同じような列車のシステムであった。まず改札口があり、そこで切符にはさみを入れてもらう。ヨーロッパではそんなことは一度もなかったので、奇妙な気がした。

タンジェではあらゆることが新鮮だった。何よりもイスラム世界の一部をかいま見たことはそれまでのヨーロッパとは全く異なった世界のあることを改めて認識させられた。

列車はタンジェの駅を発車して、荒野の中をカザに向かった。初期の日本の新幹線のような車体の特急は車内もコンパートメントではなく、普通の日本の特急と同じであった。ただ、途中の駅で時折、木造の貨物車の様な客車も見かけた。

何より印象深かったのは、夕暮れの車窓から見た、つぎだらけの衣類をまとった裸足の羊飼いの少年の姿であった。世界には貧富の差があることを改めて感じた。

夜の9時半頃、列車はカザに到着。弟からの地図を頼りに、防衛庁から出向している日本人のO氏のアパートにたどり着き、久しぶりに日本のカレーライスをごちそうになった。

O氏の高層アパートから200mmの望遠で通りを撮ったもの

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