大正11年の宇和島市街図を見る

最近入手した昔の絵はがきセットから

市役所

おなじみ懐かしい市役所。今残っていれば。残念!

追手通り
(元・伊予政精肉店角あたりの道路から北を臨む?)
(下は平成18年9月・ほぼ同じ場所からと思う)


交差点の中央に棒のようなものが立てられている。
中央左の三階建ては「花屋旅館」らしい。その向かいには
「カフェ・ミカド」らしい建物が見える。残念ながら「木屋旅館」
は正面角の建物の左なので隠れている。昭和6年の地図では
左手前の建物は「清家旅館」となっているが、この写真では
どことなく「追手通郵便局」のような雰囲気がある。念のために
郵便事情に詳しい人に問い合わせたら、やはり郵便局らしい。
現在の野中かまぼこ店のとなりくらいか?
(ここには写っていないが伊予政精肉店跡はマンションになった)

キリン館

他にも何枚かこの時代の絵はがきを手に入れた。
正確な時代は判らないが、葉書にはペンで昭和4年某月某日
宇和島入港、某日出港と書かれている。
という事で、多分それより少し前に作られた絵はがきだと推察し、
とりあえず大正後期の様子だと判断した。時代に誤りがあれば
ご容赦をお願いする。時間が許せば随時出す予定。

宇和島市街


これは結構見かけるもの、愛宕山の上から撮ったものか?
右の出っ張りは手前から潮音寺山、龍光院。

下は現在のもの

樋口虎若邸


社会保険保険病院近く(大正後期の建築)

かってはこの界隈には、明治後期から大正にかけて
建設されたと思われる、ハイカラな建物が残っていた。
空襲にも焼けず、戦後もモダンな色彩を放っていた。

しかし、行政は保存には無関心で、昭和の後期に一軒は火災で焼失した。
樋口虎若が開業していた医院も最近壊されてしまい、こういうスタイルの建物で
私の知るものは、ここ一カ所しかない。滅び行く宇和島の懐かしき時代である。

 

捜せばほかにも残っているかもしれない。

樋口 虎若氏とは
 第7代宇和島市長
昭和13年7月30日 就任  
同 14年5月17日 辞任

略歴 
明治5年11月10日 北宇和郡吉田町東小路に生まれる
同 27年11月   第三高等学校卒業医師開業免状を受ける
同 33年2月    宇和島市広小路にて医師開業
同 37年2月    陸軍軍医大尉
大正3年1月     宇和島町会議員当選
同 4年9月     北宇和郡会議員当選
同10年12月    宇和島市議会議員当選

任期中の9月20日 宇和島市にとっては大きな存在であった、元宇和島市長山村豊次郎氏が逝去。同月25日、市葬を執り行った。
10月に市議会議員選挙。これが混乱を起こし、翌年5月17日樋口市長は議会に辞表を提出、退任が承認された。自治体行政における政党間の対立、議会内部での対立が原因で市政執行を困難にしたものと思われる。

今も昔も田舎政治、いや、政治の世界はこういうどろどろとしたものがあるのだろう。きれい事では収まらないものがあるのだろうが、人間はいつまでこういう馬鹿な事を続けるのであろう。

大正浪漫・大正11年の宇和島


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