もう少し大きい全体図を見る

上は大正11年に出された宇和島市街図である。
四分割(プラスボーナス2枚)しているので、それぞれ拡大図を
見ることが出来る。この当時を覚えている方は少ないだろう。

城山西部(左)にある「日本酒類」は、あの大宮庫吉さんが
勤めていた「日本酒精」が「鈴木商店」に買収されて名前を変えた会社。
大正7年(1918)の「コメ騒動」では焼き討ちにあった。
須賀川は付け替え前だから、今の市役所のほうに流れている。
袋町、広小路あたりも面白い。では、大正時代に
タイムスリップを。川の流れを見ても面白いかも知れない。

こうしてみると「薬研堀」は本当にいびつな形なので、町の形からその
名前が付いたという説は、正確なのかも知れない。(どこか探してみて)

官公庁は広小路あたりに集中している。右下の交通図では
鉄道はまだ、長浜-大洲間しか通っていない。宇和島鉄道も
近永までである。海上交通が盛んである。
ここで気をつけてもらいたいのは、左上の部分で住吉山の下の
樺崎の砲台跡に、何も印が付いていない。当時から考えれば、
江戸時代の遺物は(大正11年=1922年、明治維新からわずか54年)
さほど関心がなかったのだろう。いけいけどんどんの気分であったのか。

時代の感覚は面白いものである。

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