その二



この地四国山八十八カ所巡りのコースは、説明によれば天保5年(1834)〜12年(1841)
の7年の歳月をかけて作られたと言われている。御覧の通り、石仏の多くが風化してその
全貌をとどめているものは少ない。また、石仏の表情も見た通り稚拙なものが多い。しかし
私が驚愕し、また、敬意を抱くのは、これらを作り守ってきた地元の人々の厚い信仰心である。
わらじや手っ甲、脚絆の姿で、険しい山の中を人力のみを頼って、石仏を運び、道を拓いて
来た人々の思いに頭を垂れながら、私は山道を歩いた。



 
    
石鎚権現

 昔の人の割には結構合理的にここを作っている。おそらく実際に回った人とか、真念の誌した「四国遍路道指南(−みちしるべ)」という書物などを参考に、このミニ八十八カ所を作ったのだろう。
でも、所々無理があるように思う。
 第16番 光耀山 観音寺
 本尊 千手観世音
 徳島県徳島市国府町 

 第17番  瑠璃山 井戸寺
 本尊 七仏薬師如来
 徳島県徳島市国府町
まあこんな雰囲気かなー
(18番)
 これを見ると、19番がメインのポイントのように思われるし、実際一番景色の美しい場所である。

槙の山は地質学的に中生代上部白亜紀の地層が分布し、特に礫岩(れきがん)は「槙の山礫岩」と称されている。
左のような岩をよく見かける。これ以外に砂岩・頁岩(けつがん)などがこの山の地質の特徴である。


読んでね。

 第19番 橋池山 立江寺
 本尊 延命地蔵菩薩
 徳島県小松島市立江町

ここは唯一宇和島の町を見ることの
できる場所で、今でも遠足で行くことがあるらしい。大浦の上になる。

壊れた望遠鏡が関係者の夢のあとを物語っている

19番から見える市内の光景。お、お、大浦湾埋め立て工事が見えた。

 第20番 霊鷲山 鶴林寺
 本尊 地蔵菩薩
 徳島県勝浦郡勝浦町

あなたの宝は何ですか
どの岩なのか不明
  第21番 舎心山 太龍寺
  本尊 虚空蔵菩薩
  徳島県阿南市加茂町

  第22番 白水山 平等寺
  本尊 薬師如来
  徳島県阿南市新野町
  第23番 医王山 薬王寺
  本尊 薬師如来
  徳島県海部郡日和佐町

  第24番 室戸山 最御崎寺
  本尊 虚空蔵菩薩
  高知県室戸市室戸岬町
  第25番 宝珠山 津照寺
  本尊 揖取延命地蔵菩薩
  高知県室戸市室津


第26番 龍頭山 金剛頂寺
本尊 薬師如来
高知県室戸市元乙


この岩の間を


と言うことだそうです

27番の木標の写真を有り難う御座いました。(管理人はこれを撮り忘れ、某仙人にお願いしたら、しっかり撮ってきていただいた。感謝。

第27番 竹林山 神峰寺
本尊 十一面観世音
高知県安芸郡安田町唐の浜
   第28番 第28番
   本尊 大日如来
   高知県香美郡野市町

  第29番 摩尼山 国分寺
  本尊 千手観世音
  高知県南国市国分

槙の山・三等三角点
 第30番 妙色山 安楽寺
 本尊 
 高知市洞ヶ島5-3 (30番が二つある)


ここからは吉田湾が見える

 第30番 百々山 善楽寺
 本尊 阿弥陀如来
 高知県高知市一宮
30番が二つあるなんて知らなんだ。
昭和 5年の善楽寺復興後は 2ヶ寺が30番札所となっていたが、平成 6年に安楽寺の住職が善楽寺の住職を兼ねる事で双方の檀家も了承し決着をみたそうだ    第31番 五台山 竹林寺
   本尊 文殊菩薩
   高知県高知市五台山 

  第32番 八葉山 禅師峰寺
  本尊 十一面観世音
  高知県南国市十市
上の岩は何か判らないが、何となく曰くのある岩のようだ。

なぜかここだけ屋根があるし
たくさんのお供えがある。
(33番 雪蹊寺)

    第33番 高福山 雪蹊寺
    本尊 薬師如来
    高知県高知市長浜
   第34番 本尾山 種間寺
   本尊 薬師如来
   高知県吾川郡春野町

   第35番 医王山 清滝寺
   本尊 薬師如来
   高知県土佐市高岡町清滝
   第36番 独鈷山 青龍寺
   本尊 波切不動明王
   高知県土佐市宇佐町龍旧寺山

   第37番 藤井山 岩本寺
   本尊 不動,観世書,阿弥陀,   薬師,地蔵の五尊
   高知県高岡郡窪川町茂串
「ゆきもどり」の文字が消えかけている。これには迷わされた。 昔もこのように標識があったようだ。(右)

第38番 蹉蛇山(足摺山)金剛福寺
本尊 千手観世音
高知県土佐清水市足摺岬
  第39番 赤亀山 延光寺
  本尊 薬師如来
  高知県宿毛市平田町

車が入る道には綺麗な道標がつけられているが(左)、もし、真剣にこの八十八カ所を市民の憩いの場所として考えるのなら、本当に標が必要な場所につけるべきであろう。
昔の人は、おそらく石仏を麓から運び上げたに違いないだろう。それも、わらじで。

初めの写真に「新宇和島24景」と書かれたものがあった。 石垣が作られている。これも昔の人が作ったのだろう。

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続く

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