その一



初めに

地四国山は江戸時代の終わりに、高串の「槙の山」(標高438m)に四国八十八カ所を凝縮した霊場が
地元住民によって作られたそうだ。よってその山を槙の山というより「地四国山」という通称のほうが知られ
ている。詳しくは高光の人に聞いて貰いたい。私が初めて登ったのは小学校の遠足であった。
どの道を通ったのかはっきりとした記憶はないが、10番と11番の間にある「迫割岩」の印象だけは残って
いた。だが、その遠足は19番の見晴らしの良い場所までであって、全部を回ったとは思えない。

(ただし可能性としては否定できない。何しろ昔の遠足はすごかった。小学6年の秋の遠足では、鶴島小学校から徒歩で
薬師谷−権現山−鬼ヶ城トラバース−鹿のコル−四本松−泣き坂−愛宕山 という恐るべきコースをほとんど全員が完歩して、
何のトラブルもなく帰校した。歩いた子供もすごいが、それを計画・立案した先生も、教育委員会も、もっとすごかった。文句を言わな
かった親もすごい。その頃は小学生で友達と鬼ヶ城に登ったりもした。小学五年生の時、雪山で子供が遭難して死んだがその当日
私たちも同じ道を歩いていた。夕暮れて下りる頃、大勢の捜索隊が登って来るのとすれ違った。あとで私たちが道に迷いそうになった
下りの足跡が、亡くなった子供の足跡だったのだと気がついた。雪山で起きた子供の遭難と、私たちが途中まで下りる道だとばかり
思っていた一人の足跡を結びつけて考えるのには、私はあまりにも幼かった。しかしその事件はずっと私の心の傷として残っている。)

それから数十年が過ぎたある年の秋、私は突然思い立ってここを訪れた。小学校低学年だった二
人の息子と犬とブタを連れて行ったのが初めて回った時だった。ブタはその後二度と着いて来なくなった。
春、秋には回る事が何回かあったが、子供もそのうち来なくなり、私もいつしか足が遠のいた。

敬虔な宗教心など持ち得ていない私であるが、自分を見つめ直す時間を求める為に、最近また、少しだけ
回るようになった。四国全部を歩く力がない私には、ここを回る事で多少、歩いた、という気分になるのだろう。



ちょっと余談

かつて私は津島町で仕事をしていた時期があった。かなりきつい職場であった。家を出るのは真っ暗な夜明け前。
帰宅するのが午後9時、10時という時もあった。その道は宇和島と津島をつなぐ道のため、季節が春になると
四国巡礼をするお遍路姿を多く目にした。歩き遍路である。たまに陽気な外人を目にしたが、ほとんどの人は
何か思い詰めた表情をしていた。当時の私はそういう人たちの姿を見ることは、けっして楽しい事ではなかった。

早めに帰る時、日の落ちた国道を、ひたすら黙々と歩く後ろ姿を見るだけで、涙が出てきそうになった事が
何度もあった。もし、車を停めることが出来れば、その人の役に立ちたいと思いながらも、二車線のメインルート
には、そのような場所はなかった。一番強烈な印象を受けたのは、かなりの年配の老夫婦と思われる一組の
事である。夫と思われる八十歳ほどの老人から十メートルほど離れた後ろにとぼとぼと老婆がついて行った。
この人たちの人生がどんなものであったのか、私には全く判らないけれど、後ろから追い越したので表情は
判らなかったが、背中一杯の悲しみが感じられた。義父が明治44年生まれであったから、それよりは若いとし
てもおそらく、80歳は過ぎていたように思われた。時間的にもかなりの時だ。今夜の宿はどうするのだろう?

私が想像するだけで、当人たちはそれほどの悲しさなどは持ち合わせていないのかも知れない。
だが、私は、この国道56号線の宇和島−津島間を勝手に「悲しみの道」と名付けた。

菜の花の咲き乱れる、春の陽光の下を歩く、お遍路さんは風情があるかもしれないが、
車の往来の激しい国道沿いの真っ暗な道を、とぼとぼと歩くお遍路さんを見るのは悲しい。




   

三月のある日、地四国山に行った。
当日は快晴。早めに自転車で家を出たが、町にはまだ眠気が残っていた。
何時も行くGS(左) コピーをよく使うコンビニ(中) おそらく宇和島で一番高い建物(右)

   
市役所前に出来た愛媛銀行(左)は普段はカメラを向けると怪しまれるが、早朝だったので気兼ねは無かった。
その銀行前にある森の魚、三間の藤部吉人さんの作品(中)
コンビニの前を和霊神社方向に向かう。おそらくここは昔「須賀川」だったところではないか。(右)
一説によれば、旧国鉄宇和島駅から、臨港線を引く予定だったと聞いたこともある。

   
「よしけん」ちゃんちの前(左)で国道56号線に出て、御幸町の裏を行く。(中・右)
また道路工事の印がしてある。


 
和霊神社に出る。

   
城北中学校も大型書店もまだ眠っている。

     

     
左の白線にご注目を。ここを歩行者が歩くには危険きわまりない。朝は車が少ないから自転車でも通れたけれど。
とりあえず、国道56号線をひたすら松山方向に進む。
左から二番目はもと「宇和島缶詰」があったところである。「牛缶の大和煮」は高級缶詰としてブランド化していたけれど。

   
ここで三間に行く道と分かれる。田舎で立派な建物と言えば「パ」であるのは全国同じか(右)

     
先にバイパス入り口が現れる。県外に住んでいる弟が以前、宇和島に車で帰った時、これに入ったら道が判らなくなって
来村まで行きすぎたと言う笑い話がある。やがてはここが高速道路と結ばれるそうだ。
宇和島自動車の郊外バスの色はずいぶん昔から変わっていないが、相変わらずモダンでスマートな印象を受ける。
チョロQに「宇和島自動車バージョン」があったこと知っていましたか?

     
左端の写真・申生田(さろうだ)である。
歩道は相変わらず厳しい。「大師前」のバス停まで来ると、先に看板が見えてくる。

 
以前は階段しかなかったような気がしたが、車でも「大慈寺」まであがれる。

    
いざ出発。左の地図を見ただけで、道が複雑に入り組んでいる事が判る。
まるで巨大迷路のようだ。そう言えばブームになっていた巨大迷路は今どうなっているのかな?

   
一番札所 竺和山 霊山寺 本尊 釈迦如来 徳島県大麻町板東126
キャイーン!失敗!標識を撮るのを忘れていた!!振り返ると下に国道が。
と思っていたら、なぜか1番だけ木の標識がないのだ。

所々にこのような道しるべがあるが、肝心な場所に無い場合もあるからご用心。

私が初めてここを訪れたのは二十年以上も昔であった。その時、まず一番目が判らずに困ってしまった。

    

  第2番 日照山 極楽寺
  本尊 阿弥陀如来
  徳島県鳴門市大麻町
まあこんな雰囲気かなー   第3番 亀光山 金泉寺
  本尊 釈迦如来
  徳島県板野郡板野町

 第4番 黒厳山 大日寺
 本尊 大日如来
 徳島県板野郡板野町
 第5番 無尽山 地蔵寺
 本尊 勝軍地蔵菩薩
 徳島県板野郡板野町

 第6番 温泉山 安楽寺
 本尊 薬師如来
 徳島県板野郡上板町
まあこんな雰囲気かなー  第7番 光明山 十楽寺
 本尊 阿弥陀如来
 徳島県阿波市

第8番 普明山 熊谷寺
本尊 千手観世音
徳島県阿波市
第9番 正覚山 法輪寺
本尊 釈迦如来(涅槃像)
徳島県阿波市

迫割岩

第10番 得度山 切幡寺
 本尊 千手観世音
 徳島県阿波市観音


第11番 金剛山 藤井寺
 本尊 薬師如来
 徳島県吉野川市鴨島町 

この間を抜けることが出来るかどうか?
幸い私は悪人ではなかったようだ。
おそらくこの基準でいけば「コニシキ」は極悪人か?

第12番 摩盧山 焼山寺
 本尊 虚空蔵菩薩
 徳島県名西郡神山町
第13番 大栗山 大日寺
 本尊 十一面観世音
 徳島県徳島市一宮町

 第14番 盛寿山 常楽寺
 本尊 弥勒菩薩
 徳島県徳島市国府町
まあこんな雰囲気かなー  第15番 法養山 国分寺
 本尊 薬師如来
 徳島県徳島市国府町 

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続く


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